zonさんも書の道にたいへん興味をもってらっしゃるとのこと。仕事がとても忙しいそうでなかなか始められないそうだが、ブログにまず篆刻に挑戦しようかなぁって書いてらっしゃった。
篆刻、いいですよねぇ。夜更けに、こりこりって。
端から見てたら、すっごい地味なんでしょうけど。
私が初めて篆刻したのは中学の書道の授業で。青田石みたいなのに彫刻刀で彫った。出来が良いか悪いか、どんなのを作ったのか全然覚えてないが、「けっこう簡単に彫れるんや」って思ったことだけは覚えている。
時は流れて今年の6月・・・。
妻の計らいで上海へ行った折、ちょうどそのころ私は書の道を歩むかどうか悩んでいた(今となってはなんで悩んでいたのか解らないのだが)時だ。上海の土産物屋では5分で印を彫ってくれるらしいとの情報が入った。値段もお手頃。そうなるとなんか欲しくなるのが昔から変わらない性格で、masaさんご夫妻に豫園に連れて行ってもらった際に、その周辺にある土産物屋で自分の名前を彫ってもらった。
それが高じてというほどまでは高じてないのだが、このありさまだ。

一番右端の、取っ手に龍が彫ってあるのが上海で作ってもらったもの。
今一番使っているものは中段真ん中の白っぽいやつ。
その印影がこれ。

字体から彫り方まで我流も我流。
印材も中には車が買えるようなものもあるけど、書道用具店とか判子屋に数百円とかで売っていて、子供の小遣いで買える。石を選ぶのもとても楽しい。ひとつとして同じものがないしね。耐水ペーパーで印面を整えて、朱を塗って筆ペンで字を逆に書く。最初はデザインを鉛筆で書いて、それをスキャナでとりこんで、ソフトで反転してから印刷し、カーボン紙はさんで上からボールペンでこすって・・・ってしてたらもうなんか楽しいどころかイライラしてきたので、今は時々手鏡で様子を見ながら直に書く。本当は小筆に墨着けて書くべきなんだろうけど、はっきり言ってこのときだけは筆ペンの細字しかも硬いやつが便利。あとはコリコリ彫るだけ。作品にもよるが、数時間で彫れてしまう(そりゃ、上海の土産物屋は5分で彫っていたんやし、それはそれで驚異的な速さなのだが)。
でも、最近彫ってないなぁ・・・。
今度は雅号を朱文で彫ってみようかなぁ。
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今日の書「初志貫徹」

まぁ、なかなか自分の考えた通りに人生は進めないけど、初心とか原点とかって、困っている時とかにすごく大切な気がする。
で、今日は実は前から気になっていた硯を買っちゃったのだ(^^)
香雪軒で見せてもらった大西洞水厳硯だ。憧れの端渓硯だ。

大西洞とは老坑に近い場所で良硯をよく産出したところらしく、水厳とは水に浸かっていたということを意味する。この硯は比較的最近作られたものなので水厳と言えども水の中から削りだした石ではなくその付近(河が増水すると水に浸かるようなところ)のものではないかとのこと。水に長い年月浸かっていたにも関わらず高い密度を保っていることから、水をほとんど吸わない性質がある。
大西洞の水厳硯だからといってどれもすばらしく高価とは限らないが、一般には極めて高価。私の手の出るものではない。だから欲しくなったのではない。この硯の墨堂がとてもなめらかできめ細やかで、しっとりしていながらそれでいてしっかりしている、そこに惚れたのだ。香雪軒のご主人は、「硯の場合、大は小を兼ねますから、私はそれより麻子坑のこれを勧めます」と、それもまたすばらしい硯を勧めてくださったのだが、私にはやはりこの水厳硯の墨堂に魅せられたので、こちらを購入したのだ。
結局、このご主人がおっしゃったとおり、端渓硯を使うことになった。
で、使ってみた感想。
これって、思いっきり実用的な硯ではないだろうか。
墨おりが素晴らしく良い。墨が墨堂に吸い付く感じがする。そして墨液が乾かない。墨色はまだ見分けていない。今日書いたものをちゃんと乾かしてから見てみたいが、墨の粒子が細かい感じはするので、悪くはないだろう。
歙州硯と水厳硯、書きたい書に合わせて使い分けたいものである。
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季節はずれだが、拙稿「かっこう」の一部を書いてみた。

なんでこんなんを書いてみたかというと、先日行った香雪軒で、前から気になっていた筆「白梅」を購入したので、その書き味を見たかったのだ。
この白梅、見た目はちょっとだけ大きいかなっていうくらいの細筆っぽい。しかし、これは細筆として使うだけというのはもったいない。この筆、玉毛(たまげ)なのだ。玉毛とは猫の毛を意味する。一般にも玉毛の筆は売っている。しかしこの白梅は私が見た中では長め太め(つまり少し大きめ)で、毛の艶が良い。一般の玉毛筆は三毛だが、白梅は名の如く白い毛のみが用いられている。
で、書き味。
なんか加えた力をおもしろく発散して、独特のコシとしなやかさがある。筆が紙の上で踊るみたいな感覚。イタチほどしっかりはしていないし、羊毛みたいになよなよしてない。猫の如く絶妙な力の入れ加減抜き加減でおもしろい。たぶんこの感覚は使ってみないと解らないと思う。
で、今回は命毛(のげ)を主に使っての仮名交じり文。
私は細筆だろうと根本からおろす。普通は先だけほぐして使うものだが、根本までほぐした方が墨のたまりも多いし、要は頑張って筆を持ち上げ続ければよいだけのことと思ってほぐす。小学生の頃からだ。お習字の先生には「あ~ぁ、また根本までほぐしちゃって」と言われたものだが、別に糸を巻くこともなく、糊を使って固めることなく書いてきた。上手い下手は別。
命毛が良いので、細い線もさらさら書ける。
ちなみにこんなのも書いてみた。

これは250文字くらい(般若心経くらい)あるのだが、半紙に収まった。墨を筆に含ませたのは最初の一回だけなので、硯いらずに思われがちだが、私は最初に筆を人一倍ならすので、ある程度広さのある墨堂がないと困る。漢字みたいに画数が多い文章を書くならばもっと墨を何回か含ませないと無理だろうが、そんなにしょっちゅう墨をつけてつけてしていては作業効率が悪いから、昔の人は細筆でもしっかり根本までほぐしていたんじゃないかなって勝手に想像した。
出来映えは今回もあまり良いとか悪いとか考えてない。
書いてみて、楽しかった、それ以上に何を求めようか。
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今日の書「桔梗」

もう結構秋らしくなってきた。朝晩は涼しいし、虫の鳴き声も聞こえる。
無難に秋の七草のひとつ「桔梗」を書いてみた。
桔梗の花って、凛としていながらほのかな淡さもあって、本当に美しいと個人的には思う。古く万葉の時代は朝顔とよばれていたらしい。朝顔も好きだが、桔梗のきちっと星形なところが自然ってすごいなって思う。
ま、なんとなく好きな花の名前なので書いてみたものの、結構バランスを取るのが難しいモチーフ。書いてみて思ったのはイメージにやはり捕らわれすぎた感が否めないことかな。でも今日はあまり深く考えず「こんなもんやろ」って思いっきり妥協して寝ます!
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今日も結構忙しかったのだが、ふとした時間に寺町へ。
ちょっとだけぶらぶらして、文房具見て、それから二条木屋町の香雪軒へ。
このお店は、私が最初に道具を揃えるときに、色々教えて頂きながら一式揃えた所だ。
ここのご主人はとても気さくな方で、私が解らないことをとても親切に教えて下さる。
文豪 谷崎潤一郎氏もここの筆を愛用したそうで、また文豪 武者小路実篤氏などの方々のゆかりもあるそうだ。
武者小路実篤直筆の「香雪軒」の書

今日は端渓硯を見せてもらってきた。
硯というのはやっぱり難しくて、なんか実物に触れて見て、実際撫でくり回すのだが、それくらいしないとなかなか解らない。もちろん書きたい書に合わせる部分もある。仮名ならば小さめ、漢字ならば大きめとか。けどそれだけじゃなくて、ときめかないとどんなに良い硯でも欲しいとは思わない。
最近良く見て回っているリサイクルショップにも、誰かが使っていたであろう硯がよく置いてある。中には硯としてはなかなかであろう物もあり、そういったものは比較的高価だが中古なのでお手軽でもある。しかしだ。いかんせん命の墨堂に「これどうやったら直るんやろ?」という傷が入っているものばかりで買う気が起こらない。直せないほどの傷があるからリサイクルショップにあるんかな? 逆に、自分が気に入っている自分の硯にこんな傷をつけてしまったらどないしょって心配になる。墨堂はやはり、子供の頬のようなきめ細やかさじゃないと。
と、つかの間の幸せな時間を過ごしたのだが、見せて頂いた硯の中にちょっと気に入ったものがあった。少し色々考えることにする(^^)
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今日の書。

リベンジしようと書いてはみたが、ダメだ。
なんか違う。
なんか偽善者っぽい感が否めないのだ。少し上から「聴いてあげよう、君の話を」みたいな。それはそれでいいのだけれど、私が書きたい「聴」という文字はもっと違う意味で、夫婦や親子、友人との間にある安らぎのイメージなのだ。
どうしたらいいのだろう・・・。
今日ネットサーフィンしていて、すばらしいサイトに出会った。
多木 洋一 【書を楽しむ法】
私が書に対して考えていることに対して合致するのみならず、納得できる根拠に基づいた論理展開による書の道の歩み方指南は書のみならず様々な道に通じるものでなかろうかと感じ、読んで興奮を覚えた。
もちろん字を書くのは巧くなりたいのだが、それより私の心を映す書を表したいのだよなぁ。それって、すごく難しい。技術的なことだけじゃない。私の気持ちは文字じゃない。それを文字に「翻訳」してそれを「書」で表すって、これでもかなりはしょった説明だけど、偉そうな書き方をすれば「空」から「現」、時に空に浮かぶ雲をスケッチしているような気がするときがある。だって、書いている最中にもその「空」なモチーフは「ない形」を変化させていっているのだから。結局は私自身が未熟過ぎるのか。
へたくそながら、もう一つだけ習作をアップする。

自灯明 法灯明。
お釈迦様が亡くなる間際、弟子のひとりがたずねた。「師がお亡くなりになったあと、我々は何を頼りに生きたら良いのでしょうか?」と。釈迦は示した。「自らを灯りとせよ、法を灯りとせよ」と。
つまり、「君たちのこころにはもう道を照らす灯りを持っているのだ。だからそれを頼りに歩きなさい。迷ったら、私達が今まで歩いてきた方法(仏法)を頼りに歩きなさい」というメッセージ。
仏の教えとか関係ないと思う。共に歩み、時に苦しみ、それでも信念と邪念の狭間を歩いてきたものたちにとって、この言葉は何よりの言葉だ。「苦しむだろう、辛いこともあるだろう、ごめん、私はもう死ぬから一緒に歩んでいけない。しかし私達が築き上げてきた信念、私達のやり方で歩んでいこうよ」って聞こえる。仲間としてのあり方、その根本を表した言葉やと思う。
私には友人が少ない。けど、いてくれてる。
私も、私達のやり方で歩んでいこうと思う。見苦しい生き様でも、私の灯り、私達の灯りを頼りに生きていく。
不器用だから、そうしかできないしね。
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今日の書。

色即是空。般若心経の中にある文句。今日はちとしんどいので、意味についてはまた書きます。
で、今は歙州魚子紋硯を普段使いしているのだが、気付いたこと。
墨池の墨が乾かない、減らない。
この硯は確かに水になじまないというか、水をはじく。これは言い換えると水を吸わないということであるらしいので、空気中に蒸発する水分とは別に、石が吸収してしまう水分が少ないので墨が減らないのかもしれない。
なんか調べたらこのことはとても大切な事らしく、歙州硯たるもの、指を当てたら指紋(汗)の跡が残り、息を吹きかけたら露が着かなければならないらしい。確かにそれをやってみると、この硯はそうなる。墨をおろすのに時間がかかるのは仕方が無いが、磨った墨が長時間乾かないのはそれに増して助かることではある。
なお、私は硯の彫刻って単なる石の付加価値やと思っていた。
しかし、「この石はこんな彫刻しても大丈夫なくらい丈夫で粘り強く緻密ですよ」っていう証しらしい。もちろん今ではそうじゃないやつも多いだろうが、このうんちくに関してはちょっとマイトリビア。
<追記:2007年9月7日>
ちなみに「色即是空」とは前に書いた通り般若心経の中にある言葉で、その前後も含めた解釈のひとつとして、「かたちあるものに思えるものも、しょせん形を成さないのに等しい」といった感じの意味だ。ちょっと意味が違うが、養老孟司が著書「バカの壁」に書いていた。「よく情報は変わるが受け止める人間は変化しないと言うが、全く逆で、人間は常に変化するが情報は絶対変わらない」と。情報が変わるか変わらないかはさておき、万物を認識するのは私たち人間であり、認識して万物の存在は人の心に形を成す。心の中に形を宿すということは、心変われば形も変わろうというもの。また変わらない人もいない。認識に人は物事の存在を見出すのだから、実体などあるのかとは、実は本業の研究で常に私を悩ますことだ。
「時代は変わる。ラガーは変わるな。」というコピーがある。おもしろいコピーだと思う。時代の変化、それに伴う自分の変化、変わってないよと主張するラガーの味は「おぉ、昔のままだ!」と思わせた瞬間に実はその人の中で変化している。このパラドックスがおもしろいのかな。
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今日の書「聴」。また一文字。

ひとつ前の記事ともからめて。
人と人とが一緒に何かする、別に何かしなくてもええんやけど一緒におる時、大事なのは主張することよりもまず「聴く」ことちゃうかなぁって思う。そういう意味では、ブログってなんか一方的。自分のブログで自分の主張をすることも大事やし、自分の気になる記事を探して読むのも大事やけど、本当は自分があんまり好きちゃう、ひょっとしたら嫌いなことの内容もいったん受け止めて、自分の中で消化する必要があるなぁって思うことが最近多い。アンテナを広げるって意味じゃなくて、まずは「聴く」から始めようってね。
で、この書、書いたときは「なかなか(^^)」と思っていたが、今となってはなんか微妙。細かいところをごちゃごちゃ言い出すときりがないし、へたくそなんだからそれを自覚しつつ書いているならばいいとは思うのだが、調子に乗った感が否めない。謙虚というか、もっと真摯な姿勢で臨むべきか、それかもっと遊ぶか。まぁ、へたくそなりに強がって書いたある種の主張という意味で、こういう駄作も認めてやらねばとも思うねんけどね。他人の意見を聴き、自分の心を聴く、どうやらその必要がありそうやね。お粗末。
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今日の書

「無功徳」
「功徳」は、善行の結果として与えられる神仏のめぐみや御利益を意味する。では「無功徳」とは。
「伝燈録」によると、梁の武帝が達磨大師にたずねた。「私は寺を建て、僧を育てました。どんな御利益がありますか?」と。
大師は答えた。「並びに無功徳」。「御利益なんて無いよ」、つまり善行に見返りなど求めるものじゃないよって。見返りを求めても、それはほとんど苦しいだけ。善いおこないをしているつもりなのに苦しむなんて辛いよなぁ。そういう意味で、この言葉はおもしろい。すごくあたりまえのことを言っているだけなんやけど、これを実行できるのはいつになることやら。
作品としては、正直なんか怠け心と集中力の欠如が否めない。
モチーフとしてはとてもおもしろいと感じたから、もっと煮詰めていきたいが、その前に字を書く姿勢を直さないと。千字文を開いて書くか、もしくは以前書いた題材をもう一度書き直すか。初心のうずうずした感じがもっと欲しいね。
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文房四宝のうち、今日は最後に残った紙。
書道だから基本的には和紙に書くけど、場合によっては唐紙に書くこともあるかもしれない。でも今は持っていない。

写真を見せても、何がどうなのかぜんぜん解らないよね・・・。
普段、練習に使っているのはどこが作ったかわからないおそらく(というかきっと)機械漉きの半紙。味は正直無いが、書きやすい。あまり滲まない。
清書用は賛交社でバーゲンしてた「李白」。李白という半紙はネットで売ってるし、手漉きなのにかなり安い。私はネット価格の倍くらいで買ったが、ネットで写っている写真とロゴが若干違っている。賛交社のおばさんは、「この李白はよく寝かせてありますから価値あります」と言ってはった。確かにこの紙で書くとかなり味が出る。滲むので、イメージをちゃっちゃと具現しないといけないが、滲みを楽しむのもまた良い。
あとは全紙と半切をいくばくか持っている。これは近所のリサイクルショップで購入したもの。ある書道をやっていた人が、「師範代になったら辞める」という今の私にはちょっと解らない理由で、しかも師範代になったらしく、持っていた書道用具をすべてこのリサイクルショップに出さはったのだ。そしてこの紙はその人が何十年と寝かした紙なので、そこらで売っているものとはちょっと違う。この紙を使って書いた習作がある。

この「雨奇晴好」のモチーフは以前にも紹介したが、紙が違うとまた雰囲気が違う。この紙はとてもしなやかで、墨がよく入る。滲みは少ないが、滲ませても面白いかも。
紙と墨は出来れば桐の箪笥か桐箱で保存したいのだが、そんなの置いたら妻に怒られるだろうなぁ・・・。
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今日の書

「瑞穂」の「瑞」。今日も一文字の習作。
天が授けるうつくしいものに対する言葉。日本では「みずみずしい」という意味もある。字面もうつくしい。生まれつき美女な字。この字のおうへんは元々「玉」。つくりは端正の「端」の原字で、「形がととのった玉」という意味。
いつも通りの練習後、モチーフに悩んで書いた書。こういうちと苦しいときは一文字にすることが多いかな。なぜなら二文字以上ならば木を見て森を見ず状態に陥らないよう、全体の構図をイメージできないと書けないから。一文字ならば、その文字だけを考えるだけでイメージできる。しかし、一文字で何かメッセージを伝えるのは難しい。恩着せがましい言葉も場合によってはやかましいし。ことばのちからって難しいね。
最初、強弱をもっと強調して書いてみたのだけど、この字にはそんなのはうるさい感じがしたので、あえて淡白にしてみた。このモチーフももっと煮詰めていきたいね。一文字というのも難しい。
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今日の書

自浄其意(じじょうごい)。「自ら其の意を浄くせよ」、つまり「みずから心をきれいにすること」との意味。唐代の詩人、白居易が道林和尚に「仏教の根本の教えとは何か」と問うたのに対し、和尚は即座にこの文句を含む偈文(げもん:仏をたたえる詩形式のことば)を答えた。あまりにも単純な答えに白居易はあきれて「そんなことは幼い子供でも知っている」と反発したところ、和尚は平然として「子供でも知っているだろうが、八十の老人でも行うのは難しい」と言ったそうな。心をきれいにするというのはどういうことだろうか。言葉で言うは易し、しかしその本意、何をどうしたらよいのかというのは私はわからない。この言葉、意味より語彙が先行しがちなものだが、きちんと向き合って自分なりに考えていきたい。
そう言う意味で、この書は私からすると傲慢だ。じゃ、謙虚ならばいいかというとそうでもなさそう。
私の心をもっとそのままに現さないといけないのだろう。飾らずいかねば。
いや、正確に言えば、飾らずとも生きていける「我」じゃないといけないんだろうなぁ。
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文房四宝のうち、今日は墨。
小学生のときに習っていたお習字では墨液を使っていたが、今はちゃんと墨を磨っている。

一番右の「顕微無間」は一番最初に道具を揃えに行ったお店香雪軒で購入した墨運堂の墨。あまり他の墨と使い比べていないので正直良いのかどうかはわからないのだけど、今のところ嫌な色にはなっていないから良いのかも。あと硯を羅紋から歙州に換えたらきめの細やかさが変わったのに伴って墨の表情もまろやかになった気がする。この墨は練習・清書用なので、作品用にはもっと良い墨を使わなきゃいけないのかもしれないが、気に入った墨色で満足行く書ならば個人的にはそれで良い気もする(書の格に合った道具を使うべきという意見もあるだろうが)。それより問題なのは、私が「やはりこの墨じゃないと!」というような墨にいつ出会えるかということかな。あと私はまだ墨色は作品並べて見比べないと解らない。
右から二番目の「百事如意」は龍枝堂で購入した南松園製の墨である。これはお盆セールで安くなっていたのを購入したのだが、いつもながら龍枝堂のお爺さんのお話しを聞いているうちに購入を決めたものである。なんとこの墨、昭和53年製なのだ。ほぼ30年寝かせてあるというにもかかわらず定価の3割引で、「わしやったら迷わずこれ買うな」と言っておられたので、でも私は迷ったが買った。どんな墨色か楽しみで見てみたいのだけど、磨るのももったいないので、いつ使うかかなり迷う。
左二つは上海に行ったときに購入した唐墨。こちらももちろん、どんな墨色か見当もつかない。いつか気が向いたら使ってみるつもり。
それにしても墨ってすごいなぁって思う。色素は基本的に黒鉛なので安定性は抜群(逆に墨で汚したら乾く前に物理的に除去(つまり拭いたりこすったり)するしかない)。墨を固めるのに使う膠が黒鉛をコロイドにしているというところもなんか化学的に素敵。一日の終わりに墨を磨りながらその薫りを楽しみ、「何書こうかな」なんて考えている時間が今はとても落ち着いて良い(と言いつつ、磨り終わってもモチーフが決まらなくて「どないしょ」ってなことも多いケド)。
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今日の書

一文字の習作。晴耕雨読の「耕」
種を播く前に、まず耕す。鍬を入れて土を起こす。すべての始まりは種を播くことからじゃなくて、まず「耕す」ことなんじゃないかなぁって。
耕すのってしんどい。大変。けど、耕している人はきっと、この土地で豊かに実る結果を夢見て、期待しているはず。それって、実はとても楽しいことなんちゃうかなぁって。
字としては素直すぎる感が否めないが、個人的には何となく気に入っている。土と悪戦苦闘しながらも心の奥ではほくそ笑んでいるような雰囲気がだせたらいいなぁって思うけど、それはなかなか難しいね。このモチーフももっと大切にしてあたためていきたい。
上海旅行最終日
とにかく早起きして、masaさんの奥さんが前日に書いてくれたメモをタクシーの運転手に見せて空港へ。
あまりにあわてたので、飛行機のチェックイン待ちのときにすっごく喉が乾いて辛かったのだが、たまたま飲み残して開けていなかった青島ビールが一本ザックに入っていた。「仕方がない」とそれを飲もうと思うも、栓抜きなんて持ってない。鍵か何かをつかってなんとかこじ開けた。少しぬるいが、喉は相当渇いていたので美味い。でもちょっと悲しい味。
出国手続きを終え、免税店巡り。
ベタなお土産をまったく買ってなかったので、切り絵とか、絵文字の扇子などを購入。
手持ちの元を使い切った。これで銀行で両替する必要ナシ(^^)(・・・って、そう言う問題だろうか?)
私が個人的に気に入って、蜘蛛をモチーフにしたブローチを購入した。妻に渡したのだが、妻は帰国後すぐにあった会議で着けていって、いつの間にか落としてしまったらしい。ピンの部分がかなりちゃちかったらしく、無くなったのは仕方がない。そのブローチはこんな感じのやつ。

この日は上海に来て一番空が青かった。

飛行機で関空へ。バスで京都駅へ。タクシーで家へ。
日本も晴天。あっという間に日常生活。
でも、ちょっと価値観変わったかもしれない。
お世話になった皆さん、本当にありがとう!
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前回は硯を紹介したので、今回は筆。
とりあえず、写真を。

一番右の筆が、メインで使っている香雪軒の「梅窗(ばいそう)」という筆。イタチ毛と羊毛の兼毫で穂先の長さも程良く、半紙に漢字2~6文字くらいなら万能な使い勝手。
右から二番目の筆が、古梅園の「希静」という筆。梅窗と同様にイタチ毛と羊毛の兼毫で、半紙に8文字くらい書きたいと伝えて出してもらったもの。正直普通の筆ってこんなものだろうという可もなく不可もない筆。この筆で書くと字が素直すぎるようになるのは、私の腕がまだまだということだろう。
右から三番目の筆が、賛交社で出してもらった「精品鶴脚」の三号という中国製の筆(ちなみに上記2本は国産)。羊毛の長峰(穂先が長いという意味)の筆が欲しいと言って勧められた筆。純羊毛で国産ともなるとかなり高価なのだが、中国製ならば大分安く買える。しかしその分質は劣る。羊毛の長峰ともなると使い慣れるのにかなり手こずる。基本的に書くときは「ここからここまでは一息に書こう!」と臨むのだが、羊毛はとても柔らかく、しかも長峰ということもあって穂先が反っくり返ってしまったらもうお手上げ。しかしこれを使いこなせるようになると、表現のレパートリーがかなり増える。目下練習中。
中三本は以前にも写真でお見せした、上海で購入した筆たち。まだどれも使ってみてない。どんな書き味か楽しみだ。
左二本は細筆で同じもの。松楳園で勧められた「さくら草」という大変安い筆(定価税込み210円をなぜかさらに安くしてくれた)。お店の人曰く、「小筆は消耗品ですから、ある程度のものでかつ安いのが一番。この「さくら草」は安すぎるからと皆さんおっしゃいますが、当店では小筆として一番のお勧めです」と言ってはったので買った。私は小筆を使うのがへたくそで、普通小筆は先三分の一くらいだけをおろして使うものなんだけど、その状態で筆を良いコンディションをキープできないのだ。大体残り墨で穂先が割れてすぐにダメになる。だから今は根本までしっかりおろして使っている。要は重力に負けずしっかり腕を支えて書けば良いのだろうと、これも目下練習中。
とまぁ、こんな状態なので、妻に「筆何本買うてんのー!」と怒られた。
怒られると、ばれないようこっそり買いたくなるのが人の心情というものだと思うのだが・・・(^^;
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