まぁ、とりあえず一服いかが?

現在、お茶に関する仕事をしているため、最近近畿圏各地のお茶の産地を訪問してまわっている。
どこもお茶どころだけあって、ものすごくおいしいお茶でもてなしてくれる訳である。
ひとつ、印象的だった出来事を記したい。
先月、全国的に有名な茶の産地にある某茶業試験場にて会議があり、私もそこに参加した。名高い産地の試験場である。言うなれば、この試験場の人たちは茶のプロの中のプロ。参加者の期待は高まるばかり。当然、「さぞかし旨いお茶が飲めるのだろう」と。
しかし、誰ひとりとしてそれを口にはしない。黙ってお茶が出てくるのを待っている。ものすごい緊張感が会場を包む。あるものは配布資料に目を通す振りをし、あるものは目を閉じてすました顔をしている。不気味な光景である。もう不自然でぎこちない動きしかできない。動こうがじっとしていようが、もうこの期待と緊張感に誰も耐えられないのだ。
「粗茶ですが」ついに、待ちに待った一杯が皆の手元に配られた。しかしである。誰もが飲みたくて飲みたくてたまらないのに、誰も口を着けようとしない。もはや滑稽ですらある。憧れの一杯は、いつしか畏敬の存在に変わってしまった。これが、この一杯が、もし期待したほどじゃなかったら、この場はどうなるのだろう、と。窓の外の日差しのせいで暗く感じる会議室が低音で秒針を叩き続ける。それはどことなしか、嵐の前の静けさに似ていた。
誰からとなく、自ずと皆が茶碗に手を伸ばした。煎茶である。香りは甘く透き通っている。震える手をおさえながら、一斉に一口すする。次の瞬間、我々は顔から火が出るような思いをした。我々が無言で課した高すぎるハードルを、その一杯の煎茶ははるかに超越していた。中途半端にしては強すぎる期待と欲望を見透かされたことが恥ずかしくて、本当に赤面してしまった。そのお茶の味は、ただただ「今まで飲んだ中で最高においしい」だけだった。
後日、そのお茶を煎れてくれた方に、あのお茶についてお話を伺った。曰く、「私たちも驚くくらいおいしく煎れたお茶でした」とのこと。良い茶葉を良い水ですばらしい技術をもって煎れたのは当然ではあるが、神様は時におもしろいことをしてくれるものである。
この方が、比較的簡単に素人でもおいしく煎れられる方法を教えてくれた。水出し緑茶である。
1.煎茶15グラムに水1リットルを注いで一晩冷蔵庫で寝かす
2.翌朝、茶葉を茶こしで濾してできあがり
試しに他の試験場からいただいた茶葉で煎れてみた。ものすごくおいしい出来具合である。興味のある方はぜひ試していただきたい。そしてぜひとも、良い茶葉とお好きな水を使っていただきたい。それでもペットボトルのお茶とあまり値段的にはかわらないはずだと思う。味は言わずもがなだ。
ペットボトルのお茶は、そこそこおいしく、そして何より便利だ。しかしお茶の文化を守ること、本当においしいお茶を飲むことを考えたら、可能な限り自分で煎れていきたいものである。そしておいしく煎れられるようになりたいものだ。
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