相も変わらず毎晩鍋しているわけだが、どうも引き算の論理がはたらいているらしい。
くずきりを止め、白菜を止め、大分シンプルになった結果、今になって初めて「湯豆腐」の意義が解ってきた。ということで、現段階の鍋のレシピを後学のために記しておく。
1.土鍋に昆布と鶏肉、水を入れ、中火にかける。
2.沸騰する前に急いで銀杏切りした大根を入れる。
3.沸騰する前に大きめに切った白ネギを入れる。
4.沸騰したら、適当に切った絹漉し豆腐を入れて弱火に。
5.豆腐を入れてふたたびグラっとしたら、ポン酢で食す。
・・・後のために記すまでもないほど単純。しかしこれを見る限り、私の日々の夕食がいずれ鶏の水炊きから湯豆腐に移行することは火を見るより明らかである。
ここで重要なこと。
ポン酢は可能な限り良いものを。
鶏肉、大根、白ネギはあくまで出汁のためであり、食すがあてにはしないこと。
豆腐はグラッと沸騰したらすぐに食すこと。温もってなくても湯立ちすぎても美味しくはないので。
白菜は味を濁すので入れないこと。椎茸ならば1個まで。
といった具合である。
鶏の出汁が出ているので、もちろんあとで雑炊しても良いが、それよりもあるだけ豆腐を都度追加して食すのが良いですなぁ。「豆腐、もう無いんけ! かぁちゃん、明日の味噌汁の分、もう入れてか!」てな気分ではあるが、吐いたところで今はむなしいばかり・・・。
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毎日鶏の水炊きばっかり食べているわけだが、はっきり言うと鶏の身に未練はない。
欲しいのは、鶏の脂。
もちろん、鴨ならばなお良いのだろうが。
鶏の脂が浮いたおつゆをふんだんに吸った、大きめに切ったおネギが美味しいのであって、そのおつゆをくぐった豆腐が美味しいのであって、そしてそのおつゆで作る雑炊が美味しいのであって、正直水から茹でた鶏肉はスカスカであまり美味しくない。
ということで、毎日如何に美味しい雑炊を作るかということばかり考えて鍋している。フタを開けると放たれる鶏と根菜の土っぽい甘み、透き通った琥珀色のおつゆにきらきら散らばる金色の油滴、やっこの貞操をギリギリ守っている絹ごし豆腐、鍋は本当に奥が深い。
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先日、スーパーマーケットで買い物をしたときのはなし。
カゴいっぱいに商品を選び、あまり何も考えずに空いていたレジに並ぶと、レジ打ちの人が若い茶髪の男の人だった。私の経験上、レジ打ちが若い男性の場合手際が悪いことが多いので、「あ~、うっかりしちゃったなぁ」と思いつつ、しかし並び替えるのも面倒くさいし何より失礼なのでそのままお願いした。
ところがだ。
ものすごく速い。あっけにとられるほど速い。
動きにはまったく無駄がなく、なぜかそのテンポが心地よいくらい。にもかかわらず、がさつどころかいつもよりも丁寧。
しかもその後もっとおどろいた。
買い物袋に移し替える作業がものすごくやりやすい。
カゴの中がきちんと整理されているだけでなく、何も考えずに袋に詰めてもいつもより美しく収まる。明らかにいちばん下に入れるべき商品を最初に入れてしまえば、あとは順にとなり、となりと手にするだけ。会計後のカゴ内の配列は、レジ打ちの青年が詰めやすい方法ではなく、客が買い物袋に詰めやすい方法だったのだ。
私は先入観に囚われた自分を恥じたのみならず、久々に美しいプロフェッショナルな技を目の当たりにしたことに深く感動した。このレジ打ちの青年の凄さをうまく文章にできないことがとてももどかしい。仕事たるもの、こうじゃないとアカンよなぁってつくづく感じさせられた。
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