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至らないことがもたらす幸せ
至らない方が良いこともある。
私が小学校に入学した際、祖父母が学習机をくれた。ものすごくうれしかったものである。ありったけの宝物を机の至る所に配置し、意気揚々とその机でプラモデルを作ったのを覚えている。ただし、ひとつだけ至らないことがあった。
鍵のついている引き出しが、鍵がかかったまま、しかもどこを探してもその鍵が見あたらないのだ。
開かない引き出しの中には、なにかものすごく大切なものがすでに入っているような気がした。気になって気になって仕方がない。両親が祖父母に確認したところ、祖父母の家の中に落ちていたことが判明。祖母は電話で言った、「txeが遊びに来たときに渡しちゃる」。
その年の夏に祖父母のいる田舎に行くまでのわくわく感、着いて鍵を受け取って家路につくときのどきどき感は凄まじいものだった。実際鍵で開けられた引き出しの中には、私が覗きたいあまりに入れて取れなくなった数枚の紙切れぐらいしか入っていなかったが、今考えてもやっぱりあの数か月はものすごく楽しかった。それに今考えれば、両親や祖父母も、そのように振る舞う私を見て楽しかったのではなかろうか。祖父母も両親も、小さい鍵ならば郵送したらすぐに使えることくらい思いついていただろうが、どうもこの様子を楽しんでいたようである。どうやら人生には、そういった楽しみ方もあるらしい。
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一日の重みに違いがあるとするならば、それはあなたの重みよりも重たいものに出会った日かもしれません
先日はうちの研究室とかがホストをしている国際シンポジウムのバンケットで、明日はうちの招待演者3人を京都観光に連れて行かなければならないということで、まぁ要するに比較的忙しく無いのが今日だけだったということで、昨日のバンケットのお酒を遠慮して中座し妻の実家へと車を走らせたのは結果的に正解だった。
ということで、今さっき京都に帰ってきて、ひとりきりではあるがやっと祝杯を挙げている。
とりあえず、いや、ほんとうにありがとう。私に関わるすべてのひとたち。
彼女は晴女、産まれる前から。
今日の日本晴は、まことにあっぱれなぐらい彼女に相応しかったのではなかろうか。

でもやっぱり鍋がすき

お鍋がおいしい季節。現在妻が実家に帰っているので、家で食べるとしてもひとり分を作るという、料理初心者にとってはものすごく難易度の高いことが毎日強いられている。正直、家で作っても外で食べてもあまり値段は変わらない。外で食べると後片づけとか楽だが、食べたいものを食べたい量というなんかベストな加減が難しい。鍋物とかは比較的家で簡単にできるので、ひとり用の鍋を購入して鶏の水炊きを作ってみた。

当然、ものすごくおいしい。ただ、やっぱりひとり鍋というのはものすごく寂しい。しばらくしてその寂しさに慣れたとしても、雑炊ができあがるときに再び猛烈な寂しさが襲ってくる。あと、マナスルの上だとちょっと高すぎて、具がとりにくい。やっぱりカセットコンロを買うべきか、それとも床に天版をじか置きして食べるか、悩むところである。
さっそく撮影してきたが
パンが無ければケーキを食べればいいのに

迫り来るものの勢いに勝てず、京都駅に用事があったついでにビックカメラでE-420 レンズキットを購入してしまった。一時店員さんとお互いケンカ口調になり非常にイヤだったが、最終的にはまぁそれなりに納得できる買い物になったのではないかと思う。ついでにCFとレンズフィルターも購入した。
持ち出してナンボのものだと思うので、外出のお供にどんどん連れ出していく予定。しかしこれ、ボディはけっこう軽いものの、予想以上にレンズが重い(それでもとなりのニコマートの約半分の重さだけど)。これはパンケーキレンズを買えということですか神様。


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