ひとのおやつが欲しいのだ
毎晩、食後になんとなくもの足りなくて妻が買ってきたお菓子やカップめんなどを食べるのだが、それらが無い場合は自分でコンビニに行って買ってくるか空腹を耐えるかだ。
まぁたいてい耐えられないから買いに行くのだが、いざ欲しいのを選ぶとなるとむつかしい。「あ~、今日はちょっと甘いのを」とか、「今日はスナック系で」くらいは決まっていても、具体的に「アーモンドチョコレートとポテトチップスコンソメ」という風には意思ははっきりしていない。
いやむしろ、「これじゃなきゃ!」と思い勇んで買ったときほど、食べてみて「あれ、なんかいまいち・・・」と思うのだ。
ところが、たとえ同じものでも妻が買ってきたならば、とてもおいしくいただける。自分で買った横綱あられはあまりおいしくないが、誰かが用意してくれた横綱あられはとってもおいしいのだ。
なぜそう感じるのかを考えてみたい。
自分で自分のおやつを買う場合は自分に選択権があるのだから、当然自分の要求をいちばん満たせるように商品を選ぶ。この段階ですでに購入した商品には過剰な期待がのしかかっている。しかし自分で買ってきたのだから「今日のおやつは何かなー♪」といったワクワクや意外性はない。これはもはや、ネタを披露する前に持ち上げられすぎた芸人さんみたいだ。
それに対して、「あ~、何かないかなぁ~」って言ってみたら「ぼんち揚げあるよ」って言われたとき、それまでこれっぽっちもぼんち揚げ食べたいと思っていなくても跳び上がるほどうれしい。何気にラジオをつけたら偶然好きな曲が流れてきたみたいな感じ。つまり妥当性に長けるよりも、妥当性と意外性のバランスが良いほうがうれしさポイントが高い気がするのだ。
「プリンあるよ」
「ルマンドあるよ」
「じゃがりこあるよ」
「シーフードヌードルあるよ」
「いちご大福あるよ」
などなど
・・・う~ん、自分で買ってきてもいまいちなものばかりなんだけどなぁ。
まぁ、まだもの足りなさをそれほど感じていないときに「みたらし団子あるよ」って言われて、じゃあとで食べると言ってあとでほんとうに食べようとしたらすでに無かったということもよくあるので、何事も期待はほどほどにしなければ。あと、逃した魚は大きいというか、食べそこねたおやつは上記のものよりもっとおいしそうに感じるので、何事も適度に妥協するということも大切である。
オレさー
昨日さーー
冷蔵庫にさーーー
入れといたさぁーーーー
ニセ東京バナナがさぁあーーーーー
・・・嫁に食べられた。。。
さぁ~ぁ~ぁ~
それはお辛いでしょうね、心中お察しします。
おそらくそのニセ東京バナナは、とってもとってもおいしくて、そりゃもうたまらんおいしさだったでしょうなぁ。いや、おいしくないはずがありません。
私も昨晩、妻が買っていた3個入りのシュークリームの残りひとつを「半分どうぞ」って言ってもらうのを待っていたら、ふと目を離した隙に食べられてしまいました。あの最後のシュークリームはたまらんおいしさだったと思われます。あわわ・・・。
「食べられた」と「食べそこねた」は最高の調味料!ということで。ただし、この調味料で味付けされたごちそうは一生食べることができませんのであしからず(^^;