今日の書「妙理」
10 月 8th, 2007
今日の書、「妙理」

「冥利に尽きる」の冥利ではなく、妙理。
幽玄な発想。
この「妙」の字に、女偏が使われているのはさすが昔の人と感嘆する。本質的な、本能的な理屈(理解の有無を問わず)に関しては、男より女性の方が一般に強い気がするのは私だけかな?
最近、周りの人に、
「習字始めたんですね」
って言われる。けど、必ずこう返してる。
「いや、筆で字は書くけど、習ってないですよ」って。
もちろん字がへたくそだから、多少は巧くなりたい。
けど、筆で字を書く機会って今のご時世、展覧会の入口や結婚式の受付で署名するときに、しかも筆ペンでというくらいのものだ。実用ならばペン習字を始める。
先人達の筆跡をたどることはする。それは、その時その人がどのような状況でどんな心境でこの書を書き上げたのかを少しでも知りたいと思うからである。あとは多少の技術向上のための練習。
先人の書に人生を習うことはあっても、真似をしたいのではなく、「誰某風」な書を書きたいのではない(憧れる書風はあるけど)。一日の終わりに墨を磨って、ちょっと練習して、それから書きたいように書くという「趣味」以外の何物でもなく、私の自己満足以外の何物でもない。別に芸術家気取りになっているのでもなく、ただ字を書いて、それが楽しいだけ。なかなか解ってもらえないけど、解ってもらう必要もないし、別に気にしていない。絵を描くのが好き、歌を唄うのが好き、好きだから下手とか上手いとか関係なくやってますっていうのと同じなのだけどなぁ・・・。
> 別に芸術家気取りになっているのでもなく、ただ字を書いて、それが楽しいだけ。なかなか解ってもらえないけど、解ってもらう必要もないし、別に気にしていない。
いやぁ、私はかなり解るんですけど、普通は理解されないモノなのかな?(^^;
私もzonさんと同じ感覚だと思うんですが、そのありのまま、自分の一番素直なところにある「我」を満たしたいだけなんです。だけど書というと「書き始めて上手くなってきたね」とか、「書道より、今することあるんちゃうん?」とか言われることが度々ありました。
字は上手く書けるなら書けるようにはなりたい。でもそれとは別に、私が書きたい言葉を私が書きたいように書きたいという素朴な欲望。
優先順位なら、時には現実逃避して昼間から書に明け暮れてみたい日もあるけど、忙しいしやらなきゃいけないこともあるし、書は趣味だからやれるときに気持ちがいったん落ち着くくらいにやるのがいいのだろうし、そうじゃなきゃダメだろう、趣味なんだから。だから、晩寝る前にちょっとだけ書いてます。
ある人に、「君が書のうんちくを話すには100年早い」と言われました。その人は長年書道に努めてきた人なのですが、残念ながら書に関しては私とは全く考えが相容れません。その人は展覧会で賞をとって認められて「書家」先生と呼ばれたい人ですから。私は好き勝手に書いて、書くことが楽しい、古典を鑑賞するのが楽しい、書について知識が色々深まるのが楽しいというだけなので。
本当に偉い先達がいて私がその人に憧れるならば習いますが、偉そうなだけのセンセイは、私はいらんのです。