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Archive for 9 月, 2007

ドリカムのライブに行ってきました

9 月 9th, 2007

昨日、今やっている“DREAMS COME TRUE WONDERLAND 2007”に行ってきた。
吉田美和ちゃんの歌声を一度生で聴きたかったので、妻ががんばってチケット取ったのだ。

当日、私は数年ぶりの夏バテ・・・(T_T)
ふらふらになりながら、京セラドームになんとか到着。

でも、ライブが始まったらなんか元気出てきた(^^)
好きな曲をたくさん歌ってくれたのも嬉しかったね。

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今日の書「聴」 再び・・・

9 月 7th, 2007

今日の書。

聴

リベンジしようと書いてはみたが、ダメだ。
なんか違う。

なんか偽善者っぽい感が否めないのだ。少し上から「聴いてあげよう、君の話を」みたいな。それはそれでいいのだけれど、私が書きたい「聴」という文字はもっと違う意味で、夫婦や親子、友人との間にある安らぎのイメージなのだ。
どうしたらいいのだろう・・・。

今日ネットサーフィンしていて、すばらしいサイトに出会った。

多木 洋一 【書を楽しむ法】

私が書に対して考えていることに対して合致するのみならず、納得できる根拠に基づいた論理展開による書の道の歩み方指南は書のみならず様々な道に通じるものでなかろうかと感じ、読んで興奮を覚えた。

もちろん字を書くのは巧くなりたいのだが、それより私の心を映す書を表したいのだよなぁ。それって、すごく難しい。技術的なことだけじゃない。私の気持ちは文字じゃない。それを文字に「翻訳」してそれを「書」で表すって、これでもかなりはしょった説明だけど、偉そうな書き方をすれば「空」から「現」、時に空に浮かぶ雲をスケッチしているような気がするときがある。だって、書いている最中にもその「空」なモチーフは「ない形」を変化させていっているのだから。結局は私自身が未熟過ぎるのか。

へたくそながら、もう一つだけ習作をアップする。

自灯明 法灯明

自灯明 法灯明。
お釈迦様が亡くなる間際、弟子のひとりがたずねた。「師がお亡くなりになったあと、我々は何を頼りに生きたら良いのでしょうか?」と。釈迦は示した。「自らを灯りとせよ、法を灯りとせよ」と。

つまり、「君たちのこころにはもう道を照らす灯りを持っているのだ。だからそれを頼りに歩きなさい。迷ったら、私達が今まで歩いてきた方法(仏法)を頼りに歩きなさい」というメッセージ。

仏の教えとか関係ないと思う。共に歩み、時に苦しみ、それでも信念と邪念の狭間を歩いてきたものたちにとって、この言葉は何よりの言葉だ。「苦しむだろう、辛いこともあるだろう、ごめん、私はもう死ぬから一緒に歩んでいけない。しかし私達が築き上げてきた信念、私達のやり方で歩んでいこうよ」って聞こえる。仲間としてのあり方、その根本を表した言葉やと思う。

私には友人が少ない。けど、いてくれてる。
私も、私達のやり方で歩んでいこうと思う。見苦しい生き様でも、私の灯り、私達の灯りを頼りに生きていく。
不器用だから、そうしかできないしね。

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今日の書「色即是空」

9 月 6th, 2007

今日の書。

色即是空。般若心経の中にある文句。今日はちとしんどいので、意味についてはまた書きます。

で、今は歙州魚子紋硯を普段使いしているのだが、気付いたこと。
墨池の墨が乾かない、減らない。

この硯は確かに水になじまないというか、水をはじく。これは言い換えると水を吸わないということであるらしいので、空気中に蒸発する水分とは別に、石が吸収してしまう水分が少ないので墨が減らないのかもしれない。

なんか調べたらこのことはとても大切な事らしく、歙州硯たるもの、指を当てたら指紋(汗)の跡が残り、息を吹きかけたら露が着かなければならないらしい。確かにそれをやってみると、この硯はそうなる。墨をおろすのに時間がかかるのは仕方が無いが、磨った墨が長時間乾かないのはそれに増して助かることではある。

なお、私は硯の彫刻って単なる石の付加価値やと思っていた。
しかし、「この石はこんな彫刻しても大丈夫なくらい丈夫で粘り強く緻密ですよ」っていう証しらしい。もちろん今ではそうじゃないやつも多いだろうが、このうんちくに関してはちょっとマイトリビア。

<追記:2007年9月7日>
ちなみに「色即是空」とは前に書いた通り般若心経の中にある言葉で、その前後も含めた解釈のひとつとして、「かたちあるものに思えるものも、しょせん形を成さないのに等しい」といった感じの意味だ。ちょっと意味が違うが、養老孟司が著書「バカの壁」に書いていた。「よく情報は変わるが受け止める人間は変化しないと言うが、全く逆で、人間は常に変化するが情報は絶対変わらない」と。情報が変わるか変わらないかはさておき、万物を認識するのは私たち人間であり、認識して万物の存在は人の心に形を成す。心の中に形を宿すということは、心変われば形も変わろうというもの。また変わらない人もいない。認識に人は物事の存在を見出すのだから、実体などあるのかとは、実は本業の研究で常に私を悩ますことだ。

「時代は変わる。ラガーは変わるな。」というコピーがある。おもしろいコピーだと思う。時代の変化、それに伴う自分の変化、変わってないよと主張するラガーの味は「おぉ、昔のままだ!」と思わせた瞬間に実はその人の中で変化している。このパラドックスがおもしろいのかな。

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今日の書「聴」

9 月 5th, 2007

今日の書「聴」。また一文字。

ひとつ前の記事ともからめて。
人と人とが一緒に何かする、別に何かしなくてもええんやけど一緒におる時、大事なのは主張することよりもまず「聴く」ことちゃうかなぁって思う。そういう意味では、ブログってなんか一方的。自分のブログで自分の主張をすることも大事やし、自分の気になる記事を探して読むのも大事やけど、本当は自分があんまり好きちゃう、ひょっとしたら嫌いなことの内容もいったん受け止めて、自分の中で消化する必要があるなぁって思うことが最近多い。アンテナを広げるって意味じゃなくて、まずは「聴く」から始めようってね。

で、この書、書いたときは「なかなか(^^)」と思っていたが、今となってはなんか微妙。細かいところをごちゃごちゃ言い出すときりがないし、へたくそなんだからそれを自覚しつつ書いているならばいいとは思うのだが、調子に乗った感が否めない。謙虚というか、もっと真摯な姿勢で臨むべきか、それかもっと遊ぶか。まぁ、へたくそなりに強がって書いたある種の主張という意味で、こういう駄作も認めてやらねばとも思うねんけどね。他人の意見を聴き、自分の心を聴く、どうやらその必要がありそうやね。お粗末。

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真空管アンプを作りたい

9 月 5th, 2007

以前運営していたブログで書いたことを再び。

今、真空管アンプに興味がある。理由は、

・なんか今使っているコンポの調子が悪い
・なんか作りたい
・壊れても直せるモノを使いたい

からだ。

今使っているミニコンポの調子が悪い。音飛びがするだけなのだが、メーカーに問い合わせると修理前に検査をして、検査結果に基づいて修理の見積もりを出し、それでゴーを出したら直すというきわめてあたりまえの流れ。しかし修理の見積もりを出して、予算オーバーなどで「じゃ、直すのやめときます」となると、検査料を徴収される。しかもそれが結構バカにならない金額。もちろん工場までの送料はこちら持ち。

ようするに、そんなんやったらネットのオークションで調子の良い本体を落札するなどした方がよっぽど安い。下手したら、家電屋の在庫セールとかで買った方が直したよりも安いかもしれない。

それがというより、そんな今の風潮が今となってはむちゃくちゃ気にくわないのだ!

昔、私が子供の頃、テレビとか壊れたら電器屋さん呼んで修理してもらっていた。テレビは時々壊れていたけど、電器屋さんはちゃんと直して帰っていった。ラジオが壊れたときも、近所の電器屋へ持っていって直してもらったこともある。その時に電器屋のおっちゃんが、「今はな、こういうのって修理するより買い換えた方が安くなってきたんや」って言ってはったのが、その言葉が今になって胸を締め付けるのだ。

技術の進歩で、小型薄型は格段に進んだ。しかし同時に「この製品を末永く愛用してもらおう」という作り手の思いを今の家電に感じることができないものばかりになった。今やみんなが持っている(私の妻も持っている)某携帯オーディオなど、そもそも修理をするという発想を捨てたのだろう、ネジじゃなく接着剤でパッケージングしてある。そんなんもう論外。そんなん知ったら幻滅する。って言うか、今やコストダウンの結果そんな製品ばっかりで、腹立だしいことばかりだ。先日も実家に帰ると、母が「デジカメ新しくなってん」と見せてくれた。私はなにかトラブルがあったときに困らないよう、母がデジカメを購入する際に私が持っているデジカメと同じ機種を勧めて、母はそれを購入した。それが保証期間内に壊れたらしい。メーカーが取った措置は、修理は難しいので新機種を進呈しますとのこと。母は「得した」と喜んでいたが私はなんか嫌な気がした。メーカーの本音はおそらく、修理できへんほどの無理な構造をしてるか、本当に修理したらビックリするほど高価で普通にラインでデジカメ作るより高いということなんやろなぁ。

もうそんなんやったら、新製品とかに魅力を感じないし、むしろ「10年使っても大丈夫!」とかいってる商品があるならば、思い入れのあるものならば機能が劣っていてもそっちの方がいい。

とまぁ、話がなんか思わぬ方向に向かって熱くなったが、今のコンポで調子が悪いのはおそらくCDプレーヤーの部分。しかし一体型なので、そこだけ外して修理とかは無理。「CDプレーヤーが調子悪いんやったら、真空管アンプより先にプレーヤーをなんとかせなあかんのちゃうの」というごもっともなご意見はさておく。オーディオの要はアンプとスピーカーである。プレーヤーも大事だが、最悪iPodでもプレーヤーとして使える。自作できるCDプレーヤーというのもあったらしいが、今は手にはいるのか解らないし、使用されている技術が「自分で直す」というレベルをはるかに超えているので、プレーヤーについてはおいおい探していきたい。スピーカーは今あるやつをとりあえず使うつもり(将来的にはこれも作りたい)。まずはアンプだ!

アンプで自作と言えば真空管アンプだろう。なんせブラウン管も真空管の一種だし、ロシアの戦闘機には最近まで(ひょっとしたら今も)真空管が使われているらしいが、その理由のひとつは高い安定性とメンテナンスの容易さらしい。ここまで読んで頂いた方はもうお解りだと思うが、真空管真空管と言っているのはその音色に惚れたというのではなく、箇条書きにした理由プラス思い入れのあるモノが欲しいということなのだ(また後日書くが、正直音色がどうかとかは私の場合聞き比べて「違う」のが解る程度)。あとはやっぱ「真空管ってかっこええよなぁ、なんか光るし!」という中学生男子的発想かな。

ということで、ジュンク堂で、「真空管アンプ・スピーカー作りに挑戦!」というムックっぽい本を購入。「定年前から始める男の自由時間」シリーズ。初心者向けの本としては他にもっと良さ気なものがあったが、実物を購入する前にモチベーションをもっと上げてくれそうな本書にした。ざっと読むだけでおもしろい。はんだごてとか10年以上さわっていないのに私でも作れそうな気にさせてくれた。ただ回路図とかはわからないことばかりだし、さすがに自分で設計した回路で、それに合わせて部品購入して、自力で組み立てたアンプをコンセントにつなぐのはコンデンサとか爆発しそうで怖いので、まずは簡単と言われている安価なキットからはじめたい。

そして今目を付けているのは、エレキットのTU-870。初心者にとって高いハードルである回路図の設計やシャーシ加工の必要が無く、比較的安くて、入力も2系統あるし、あと同じところが出しているプリアンプTU-875と前面のサイズが近いということもあって、これものちのち作成して一緒に使うのもなんか良さそうな感じ。引き回しがほとんど不必要な基盤モデルというところは少しさみしい気もするが、なんていったって初心者なんだから最初から高度なことを求めるのも危険なのでこれが良い気がする。

とにかくこんな気持ちになったのが東京へ行く直前だったから、「行こう! 秋葉原へ!!」ということになったのだ。何がなんだかまだ全然わかってないけど、とにかく秋葉原で見てみようということだ。まぁ、行ってみて解ったことだが、こんなアバウトな感じで世界のAkihabaraなんて行った日にゃ途方に暮れるのがオチで、ある程度詳しい人と一緒じゃないと何もできない。そのことはまた書くことにする。

何かしらの形で続く。

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今日の書「無功徳」

9 月 4th, 2007

今日の書

「無功徳」
「功徳」は、善行の結果として与えられる神仏のめぐみや御利益を意味する。では「無功徳」とは。

「伝燈録」によると、梁の武帝が達磨大師にたずねた。「私は寺を建て、僧を育てました。どんな御利益がありますか?」と。
大師は答えた。「並びに無功徳」。「御利益なんて無いよ」、つまり善行に見返りなど求めるものじゃないよって。見返りを求めても、それはほとんど苦しいだけ。善いおこないをしているつもりなのに苦しむなんて辛いよなぁ。そういう意味で、この言葉はおもしろい。すごくあたりまえのことを言っているだけなんやけど、これを実行できるのはいつになることやら。

作品としては、正直なんか怠け心と集中力の欠如が否めない。
モチーフとしてはとてもおもしろいと感じたから、もっと煮詰めていきたいが、その前に字を書く姿勢を直さないと。千字文を開いて書くか、もしくは以前書いた題材をもう一度書き直すか。初心のうずうずした感じがもっと欲しいね。

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お上りさんのつぶやき(プロローグ)

9 月 4th, 2007

6月末、東京へ行って来た。
妹が東京で結婚式を挙げるからだ。
東京へ行くのは久しぶり。今回こそは、東京に行くならばやりたいことがいくつかある。
それは、

・東京タワーにのぼる
・秋葉原に行く

である。

東京タワーに行きたいと思ったのは、リリー・フランキーの小説がきっかけではない。中学校の修学旅行以来行ったことがないのだが、あの展望台の床にはまっているガラスの上にもう一度立ってみたい、いや正確には前回は怖くて立てなかったので、今回こそは堂々と立ちたいと考えていたのだ。

それともう一つの目的、秋葉原。
なんかつくばエクスプレスのターミナルということもあって、研究者にとっては利用頻度が若干高くなったっぽいのだが、実はまだ秋葉原に行ったことがない。かといって「電車男」に影響されたのじゃない。真空管アンプを手作りしたいのだ。

ということで、妹の結婚式にかこつけてこれらの目的達成をもくろみ計画を立てようと考えつつも、忙しくて中途半端(もうたいがい「忙しいから」という言い訳を封印せなあかんのやけど)なものに。結婚式の司会を頼まれていることもあり、準備にもうドタバタ。

ということで、
初日:上京 → 秋葉原 → 四谷(結婚式)
翌日:東京タワー → 新丸の内ビル → 帰宅
という段取りでいくけど、前振りが必要なので、それを挟みつつ進める予定。
まずは、「真空管アンプを作りたい」から。

続くよ。

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今の私の書道道具その四

9 月 2nd, 2007

文房四宝のうち、今日は最後に残った紙。
書道だから基本的には和紙に書くけど、場合によっては唐紙に書くこともあるかもしれない。でも今は持っていない。

写真を見せても、何がどうなのかぜんぜん解らないよね・・・。

普段、練習に使っているのはどこが作ったかわからないおそらく(というかきっと)機械漉きの半紙。味は正直無いが、書きやすい。あまり滲まない。

清書用は賛交社でバーゲンしてた「李白」。李白という半紙はネットで売ってるし、手漉きなのにかなり安い。私はネット価格の倍くらいで買ったが、ネットで写っている写真とロゴが若干違っている。賛交社のおばさんは、「この李白はよく寝かせてありますから価値あります」と言ってはった。確かにこの紙で書くとかなり味が出る。滲むので、イメージをちゃっちゃと具現しないといけないが、滲みを楽しむのもまた良い。

あとは全紙と半切をいくばくか持っている。これは近所のリサイクルショップで購入したもの。ある書道をやっていた人が、「師範代になったら辞める」という今の私にはちょっと解らない理由で、しかも師範代になったらしく、持っていた書道用具をすべてこのリサイクルショップに出さはったのだ。そしてこの紙はその人が何十年と寝かした紙なので、そこらで売っているものとはちょっと違う。この紙を使って書いた習作がある。

この「雨奇晴好」のモチーフは以前にも紹介したが、紙が違うとまた雰囲気が違う。この紙はとてもしなやかで、墨がよく入る。滲みは少ないが、滲ませても面白いかも。

紙と墨は出来れば桐の箪笥か桐箱で保存したいのだが、そんなの置いたら妻に怒られるだろうなぁ・・・。

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今日の書「瑞」

9 月 2nd, 2007

今日の書

「瑞穂」の「瑞」。今日も一文字の習作。
天が授けるうつくしいものに対する言葉。日本では「みずみずしい」という意味もある。字面もうつくしい。生まれつき美女な字。この字のおうへんは元々「玉」。つくりは端正の「端」の原字で、「形がととのった玉」という意味。
いつも通りの練習後、モチーフに悩んで書いた書。こういうちと苦しいときは一文字にすることが多いかな。なぜなら二文字以上ならば木を見て森を見ず状態に陥らないよう、全体の構図をイメージできないと書けないから。一文字ならば、その文字だけを考えるだけでイメージできる。しかし、一文字で何かメッセージを伝えるのは難しい。恩着せがましい言葉も場合によってはやかましいし。ことばのちからって難しいね。

最初、強弱をもっと強調して書いてみたのだけど、この字にはそんなのはうるさい感じがしたので、あえて淡白にしてみた。このモチーフももっと煮詰めていきたいね。一文字というのも難しい。

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今日の書「自浄其意」

9 月 1st, 2007

今日の書

自浄其意(じじょうごい)。「自ら其の意を浄くせよ」、つまり「みずから心をきれいにすること」との意味。唐代の詩人、白居易が道林和尚に「仏教の根本の教えとは何か」と問うたのに対し、和尚は即座にこの文句を含む偈文(げもん:仏をたたえる詩形式のことば)を答えた。あまりにも単純な答えに白居易はあきれて「そんなことは幼い子供でも知っている」と反発したところ、和尚は平然として「子供でも知っているだろうが、八十の老人でも行うのは難しい」と言ったそうな。心をきれいにするというのはどういうことだろうか。言葉で言うは易し、しかしその本意、何をどうしたらよいのかというのは私はわからない。この言葉、意味より語彙が先行しがちなものだが、きちんと向き合って自分なりに考えていきたい。

そう言う意味で、この書は私からすると傲慢だ。じゃ、謙虚ならばいいかというとそうでもなさそう。
私の心をもっとそのままに現さないといけないのだろう。飾らずいかねば。

いや、正確に言えば、飾らずとも生きていける「我」じゃないといけないんだろうなぁ。

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検査結果

9 月 1st, 2007

昨日は5月に行った手術の術後検査。
久々に行く大学病院。ここに入院してたなぁって思うとちょっと懐かしい。

まずは苦手なMRI。
でも今回は寝不足でモーレツに眠たかったので、いつの間にか寝てしまってた。

その他サンプルを採取して、午後には結果がでる。

結果:至って良好\(^ ^)/
本当に良かった。

ということで、この度の治療過程もこのブログで綴ってみようかなって思った。
いろんな経験したし、いろんな人にお世話になったから。

ということで、不定期に「はじめての入院」シリーズとして書いていこうと思ってます。

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