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Archive for 9 月 7th, 2007

今日の書「聴」 再び・・・

9 月 7th, 2007

今日の書。

聴

リベンジしようと書いてはみたが、ダメだ。
なんか違う。

なんか偽善者っぽい感が否めないのだ。少し上から「聴いてあげよう、君の話を」みたいな。それはそれでいいのだけれど、私が書きたい「聴」という文字はもっと違う意味で、夫婦や親子、友人との間にある安らぎのイメージなのだ。
どうしたらいいのだろう・・・。

今日ネットサーフィンしていて、すばらしいサイトに出会った。

多木 洋一 【書を楽しむ法】

私が書に対して考えていることに対して合致するのみならず、納得できる根拠に基づいた論理展開による書の道の歩み方指南は書のみならず様々な道に通じるものでなかろうかと感じ、読んで興奮を覚えた。

もちろん字を書くのは巧くなりたいのだが、それより私の心を映す書を表したいのだよなぁ。それって、すごく難しい。技術的なことだけじゃない。私の気持ちは文字じゃない。それを文字に「翻訳」してそれを「書」で表すって、これでもかなりはしょった説明だけど、偉そうな書き方をすれば「空」から「現」、時に空に浮かぶ雲をスケッチしているような気がするときがある。だって、書いている最中にもその「空」なモチーフは「ない形」を変化させていっているのだから。結局は私自身が未熟過ぎるのか。

へたくそながら、もう一つだけ習作をアップする。

自灯明 法灯明

自灯明 法灯明。
お釈迦様が亡くなる間際、弟子のひとりがたずねた。「師がお亡くなりになったあと、我々は何を頼りに生きたら良いのでしょうか?」と。釈迦は示した。「自らを灯りとせよ、法を灯りとせよ」と。

つまり、「君たちのこころにはもう道を照らす灯りを持っているのだ。だからそれを頼りに歩きなさい。迷ったら、私達が今まで歩いてきた方法(仏法)を頼りに歩きなさい」というメッセージ。

仏の教えとか関係ないと思う。共に歩み、時に苦しみ、それでも信念と邪念の狭間を歩いてきたものたちにとって、この言葉は何よりの言葉だ。「苦しむだろう、辛いこともあるだろう、ごめん、私はもう死ぬから一緒に歩んでいけない。しかし私達が築き上げてきた信念、私達のやり方で歩んでいこうよ」って聞こえる。仲間としてのあり方、その根本を表した言葉やと思う。

私には友人が少ない。けど、いてくれてる。
私も、私達のやり方で歩んでいこうと思う。見苦しい生き様でも、私の灯り、私達の灯りを頼りに生きていく。
不器用だから、そうしかできないしね。

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